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株式会社ヤマウチ代表取締役社長、南三陸商工会会長、南三陸福興市実行委員長

山内 正文さん

Masafumi YAMAUCHI

株式会社ヤマウチ取締役

山内 淳平さん

Junpei YAMAUCHI

不屈の地元チャレンジャーたちが新たな挑戦者を待つ

大震災後の復旧復興で、南三陸町志津川地区の景観は一変した。中心部は10メートル近くかさ上げされ、住戸はみな高台へ移転。道路の位置も河川の位置も変わった。でもこの場所が誇る「宝」は今も昔も変わらない。独特の地形がもたらす海と山の恵みだ。なかでも「三陸」のブランドを背負う水産業は、文字通り町の“旗艦”産業である。この地で70年以上の歴史を持つ山内鮮魚店(株式会社ヤマウチ)は、地域を代表する水産業者のひとつ。社長の山内正文さんは、商工会会長として町の産業全体の再興にも力を尽くしてきた。営業・人事の面から社長を支える取締役の山内淳平さんとともに、挑戦者にとっての町の可能性を語っていただいた。

志津川の海とともに70年余

「ここには資源はあふれるほどある。視点を変えればいろんなことにチャレンジできるはずです」

株式会社ヤマウチ社長の山内正文さんは、「しおさい通り」の開発計画図を前に力を込めた。

東日本大震災で壊滅的被害を受けた南三陸町志津川地区。その復興は目覚ましい。建築家・隈研吾氏によるグランドデザインに基づき、観光・商業エリアや復興祈念公園エリア、自然公園エリアなどが一体的に整備されてきた。大きくかさ上げされた商業エリアには、2017年3月「さんさん商店街」がオープン。全28店が入居し、観光客を中心ににぎわう。

2020年に完成した復興祈念公園との間を流れる八幡川には、斬新なデザインに生まれ変わった「中橋」がかけ直され、新たなランドマークになっている。さらに、「さんさん商店街」の隣には震災伝承施設が建設中で、完成後には一帯を「道の駅」として認定申請する予定だそうだ。

しかし、その商店街から1本道路を挟んで南側の地区は、少し様相が異なる。志津川漁港を見下ろす南端まで全長200メートルほど。目抜きとして整備された道は「しおさい通り」と名付けられたが、その両側はまだほとんどが空き地だ。

「このあたりは以前、『おさかな通り』といったんです。魚屋や海藻屋など水産関係をはじめ、いろんな商店や旅館が点在していて、うちの店もその中にありました。商店街として盛り上げるためにそう命名し、いろんなイベントも企画して、地元だけでなく町外からもお客さんを集めていました」

山内鮮魚店は、1949年からこの地で営業してきた。鮮魚販売に加えて水産加工品の製造にも乗り出したのは、1987年に正文さんが3代目として家業を継ぎ、株式会社ヤマウチを興した後のことである。以来、特産のタコやウニ、カキやホヤなど魚介・海藻類の加工品を次々開発。水産の町、南三陸でも商品ラインナップの幅広さはピカイチだ。

その加工場も店も、そして自宅も、すべてを飲み込んだのが2011年の大津波だった。しかし、正文さんはすぐに再建に着手し、同年8月にはプレハブの店を高台に作って商売を再開。2016年に現在の事務所・工場を、2020年には第一加工場を新設し、「さんさん商店街」の一角にも店舗を構えている。

それだけではない。震災翌月、まだ電気や水道も復旧しないなか、正文さんは自ら実行委員長となり、全国から支援を集めて「南三陸復興市」を開催した。これが町内の商店主たちの再建に向けた第一歩となる。以来なんと毎月休まず、この物産イベントの開催を続けてきたのだ(2020年4月からコロナ禍で中断)。

「やっとここまできたか、という感じはある」

正文さんは淡々と語るが、あの壊滅的状況からここまで立て直してきた10年間の苦労は計り知れない。ともに経営を担ってきた弟さん、二人の息子さん、そして今回一緒に話を伺った甥の淳平さん(取締役)をはじめ一族の団結と協力あってこそ、なのは当然だろう。が、正文さんの熱意と実行力を支えるのは、やはりこの町に対する尽きない愛情のように思われた。

しおさい通りにかつての賑わいを取り戻すために

正文さんらが命名したかつての「おさかな通り」は、復旧整備後に「しおさい通り」となったが、前述のとおりこの地区の開発は本格化していない。ここは、元の地権者が所有する民地と町有地がモザイクになっている。町が整備した施設にテナントが入居する「さんさん商店街」と異なり、しおさい通り地区の開発は、基本的には各地権者に任された形だ。2021年9月現在、営業中は2店舗のみ。そのほか、一角が「海辺の広場」や駐車場として整備されることが決まっているものの、それ以外の具体的な動きはまだ見えないという。

株式会社ヤマウチも地権者の一人だ。当然、正文さんもしおさい通り地区の将来には心を砕く。が、ヤマウチ自身を含め、これまで再建に精いっぱい尽くしてきた地元事業者には、「いま新たな投資を考える余力がない」(正文さん)ところが少なくない。さらに2020年からはコロナ禍が襲っている。

しかしこの状況を逆から捉えると、何か新しいことをやりたい人が、こうした地主から土地を借りて挑戦できる可能性もあるということだ。上物を建てるとなればいろいろな意味で大変だが、小さな店ならトレーラーハウスという選択肢もある。また、しおさい通り検討会の住民ワークショップに参加してきた淳平さんは言う。

「ここにチャレンジショップをつくったらどうか、という提案をしています。地方は都会と比べて起業のハードルが高いんですよ。たとえば飲食店を開業するのに、都会なら居抜き物件が豊富ですがここにはない。せめて、チャレンジショップのような『箱』が用意されていれば、起業家をもっと呼び込みやすくなるはず」

さらに言えば、商売をするうえで地元で愛されることも大事だが、それだけでは商圏が限られる。“外貨”を稼ぐ必要があるとすれば、「普段は別のところで営業し、ここを週末だけの発信基地として利用するのもいいのでは」と淳平さんは提案する。眼前に海が広がるというロケーションは申し分ない。工夫次第でいろいろな使い方は考えられそうだ。

ところで、社長業以外にも地域の「仕掛け人」として奔走してきた正文さん自身、実はここでもアイデアがあった。それは海水を沸かした海水セラピーの温浴施設をつくる、というものだったが、「いろいろ調べてみると、やはり採算が難しいらしい」と残念そうだ。しかし、正文さんの新たな発想は尽きない。生まれ変わった「中橋」を舞台にして、薪能を計画したこともあったという。郷土芸能のイベントや灯篭流しもやりたい。そして、震災伝承館ができて道の駅が完成したら、それを全国ナンバーワンにしたい――。

「商業エリア全体で何かそういう仕掛けをやり続けていたら、必ず賑わいは戻ってくる。そうすれば、しおさい通りにも自然に人は流れていくでしょう。ここは近い将来必ずいい場所になる」(正文さん)

資源とアイデアは無尽蔵、
やる気さえあれば

正文さんは根っからの仕事好き。いまでも朝4時半には出社して書き物をするというから驚きである。今回の取材はその事務所に伺ったのだが、まずインテリアに目を見張った。カラフル、ポップ、おしゃれという形容詞がぴったりで、ステレオタイプな水産会社のイメージは完全に覆される。これは専務の恭輔さんの発案だそうだ。

「内装だけではありません。休みが少なく長時間労働という水産業の長年の慣行も改善し、業界イメージの変革に取り組んでいます」(淳平さん)。

さらに目を引くのは、会議室の一角に並んでいる写真スタジオで使うような撮影機材だ。恭輔さんはプロカメラマンでもあると聞いて納得する。専属デザイナーも常駐し、商品の撮影からウェブサイトやカタログの制作まで印刷以外すべて内省化しているという。もちろん「業界では異色」(淳平さん)に違いない。

一族経営ではあるが、新しい風もうまく取り入れている。ここ数年、担当として大学生インターンを積極的に受け入れてきた淳平さんは、優秀な学生が来てくれて良い刺激になったといい、その効用としてこんな例を挙げてくれた。

「うちの商品開発は長年、社長の直感に頼ってきたところがありましたが、学生の意見を受けて企画会議を開始。マーケットを想定し、みんなで検証しながらつくる、という商品開発部の創設につながりました」

とはいえ、社長からはまだまだアイデアが湧き出てくるらしい。取材後、奥の部屋へ案内された。海産物だけではない。コメなど農産物も含め、いろいろな素材が細かく砕かれたり粉状になったりしている。正文さんはこの「実験室」で、新しい加工品の可能性を日々探っているという。

海山の幸に恵まれた南三陸。その景観も含め、自然の資源は文字通り「あふれるほどある」。それをどう生かすか。

「その方法がわからなかったらみんなで勉強すればいい。やる気のある人は、まず来てやってみてほしい。挑戦する人がいっぱいいれば、このまちはもっと面白くなる」(正文さん)

南三陸は、山内さんたちのような地元の挑戦者たちにつづく、新たなチャレンジャーを求めている。

株式会社ヤマウチ取締役

山内 淳平さん

Junpei YAMAUCHI

1982年、南三陸町生まれ。東京の専門学校を卒業後、飲食関係の仕事を経て2003年にUターン。2006年、叔父の正文氏が社長を務めるヤマウチへ入社。10年間、仕入れや販売、製造の現場を経験したのち営業専属となる。また人事部門も兼務し、復興庁の復興・創生インターンをはじめとする大学生インターンの受け入れも担当。採用や社内の活性化にも活かしている。

株式会社ヤマウチ代表取締役社長、南三陸商工会会長、南三陸福興市実行委員長

山内 正文さん

Masafumi YAMAUCHI

1949年、南三陸町生まれ。同年創業の山内鮮魚店3代目。38歳で家業を継ぎ、株式会社化。加工品づくりも開始し、順調に事業拡大してきた。東日本大震災で工場・店舗・自宅すべて失うも、すぐ再建に着手。現在は47名の従業員を抱え、市内に3工場と1店舗を運営する。震災前から町の産業振興にも尽力してきたが、震災後は全国からの支援を集めていち早く南三陸福興市を企画。実行委員長として震災翌月よりコロナ禍で中断する2020年初まで、月1回の開催を続けてきた。

ライター

中川雅美

神奈川県出身。東京の外資系企業数社で20年以上、翻訳・編集・広報・コーポレートブランディングの仕事に携わったのち、2014年初から福島県へ。当時、福島第一原発事故で全町避難中だった浪江町役場の広報支援に入る。任期終了後も福島県に残り、現在は福島市を拠点にフリーのライター/コピーライター/広報アドバイザーとして活動中。