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金比羅丸/「みなみさんりく発掘ミュージアム」代表

高橋 直哉さん

Naoya TAKAHASHI

ヒットコンテンツ創出請負人は
「好き」を追求する地元漁師

今、南三陸で最も人気のある体験プログラムである「化石発掘体験」。それを仕掛けているのが、歌津地区で漁業を営む高橋直哉さんだ。高橋さんは、震災後、養殖場見学や釣り体験など「漁業×観光」のブルーツーリズムを仕掛け大ヒット。次なるコンテンツとなったのが「化石体験」。そして「虫取りツアー」と、次々と人気体験プログラムを生み出すヒットメーカーだ。漁師が、化石発掘体験や虫取りツアーを企画する。一見すると脈絡なく感じるが、そこには「地域の当たり前の見せ方を工夫する」という地域の観光コンテンツ作りにとって大きなヒントが隠されていた。

20分で1億年を旅できる南三陸

「南三陸は車で20分の距離で、1億年を旅することができる。すんごいロマンあると思わない?」

そう目を輝かせながら話しているのは、みなみさんりく発掘ミュージアム代表の高橋直哉さん。
南三陸町の観光資源といえば何を思い浮かべるであろうか?
海水浴?海鮮丼?おそらく多くの人がこのように答えるであろう。「海」というイメージが非常に強い南三陸だが、今、この町で最も注目を集めている観光資源が「化石」と言っても過言ではないかもしれない。南三陸町観光協会が運営する体験プログラム予約サイト「みなたび」で体験プログラムを募集すれば、即日完売。

「これだけの人気プログラムになると思ってたかって?うん、自信しかなかったよ。なによりも自分がワクワクするし、楽しいからね」

南三陸には、歌津地区にある約2億5,000万年前の三畳紀の地層から、志津川地区中心部の約1億5,000万年前のジュラ紀の地層まで、1億年分の地層がある。「魚竜」の世界最古級の化石や、アンモナイト、のうとう類など、日本でここだけしかない化石が見つかる化石の宝庫だ。昭和45年の世界最古級の魚竜化石の発見以来、旧歌津町は魚竜館を建設するなど「化石の町」として盛り上げてきたが、意外にも化石発掘の体験プログラムができたのは2018年のこと。それを仕掛けたのが高橋直哉さんだ。

震災で漁業が大打撃。
体験プログラムで活路

じつは高橋さんは、歌津泊浜でワカメやカキ、ホタテなどの養殖業を営む漁師だ。東日本大震災による津波は、高橋さんが漁業を営む浜も飲み込んだ。加工場も養殖棚も流出。奇跡的に残った一艘の船・金比羅丸と共に漁業再建への道を歩み始めた高橋さんのもとには、全国からたくさんのボランティアがやってきた。いち早く再開したワカメの作業をしてくれたみなさんへのお礼にと、採れたてのワカメを御馳走すれば感動してくれ、船に乗って沖に出れば大喜びする姿を目にして「漁師にとっては当たり前の仕事も、それを経験したことのない人たちにとっては感動のコンテンツになるんだ、ということを知った」と話す高橋さん。
「漁業体験や釣りは、正直ほかの地域でもやっている。”おいしさ”とか抽象的なものではなく、“南三陸ならでは”という明らかな差がほしかった。観光としての壁を感じていた」

新種化石の発見に止まらぬワクワク感

そんなとき、一つのニュースが耳に入った。

「南三陸歌津から日本初となる新種化石発見」

2013年に復興工事のために削った南三陸町歌津地区の地層から見つかった、絶滅種ののうとう類の化石。その後、研究が進むと新種であることがわかり、2015年に「キタカミカリス・ウタツエンシス」と名付けられた。

「人生ではじめて化石を見つけたのは中学生のとき。友だちと遊んでいたら、たまたまはっきりとわかるアンモナイトが出てきたんだよな」と振り返る高橋さん。通学路の途中にも、誰かが発見した化石が置かれているなど、特別なものではなかったという。だからこそ「初めて見つけたときも、『ふ〜ん』って感じで、特別興味ももたなかった」と話す。

それから20年余り。漁業を普段営む浜の目と鼻の先で、新種化石が見つかり「ウタツ」の名がつく化石が生まれることに、中学生の時には感じなかった高揚感を覚えた。

新種化石の発表会と化石採集の体験会に参加した高橋さん。そのときの楽しさ、ワクワク感は体に染み込んでいるそう。

「こんなに簡単に化石が見つかるんだって。とにかく楽しかったですね」

そして同時にこう確信していたという。

「探していたのはこれだ。南三陸でしか体験できないコンテンツとして、人気プログラムになる」

そこからは、「どうやったらツアーとして成立するか?」ということを考え続けたという。しかし、なにせまったくの素人。まずは、南三陸の地質を学び、どんな特徴があるのかを把握する。そして時間ができれば、自ら化石を掘り続けた。

「大学教授など、研究者が南三陸に来るたびに調査に同行させてもらって学んでいきました。自分で掘って何か分からないものが見つかれば、写真を先生に送って判別してもらったり。とにかく3年間は掘り続けました」と笑う。徐々に、直哉さんが化石に熱中していることは町内でも話題になっていった。それに呼応するように仲間ができてきた。

体験プログラムで見つかる化石に、レア度を記したトレジャーカードを制作。体験で化石を見つけるとそのカードがもらえるが、より高いレア度の化石をゲットすべくリピーターとなる参加者もいた。南三陸町内のモノづくり工房と連携してグッズも開発。2019年には歌津地区の産直店舗の一部を活用し、「みなみさんりく発掘ミュージアム」をオープンした。

その明るさや様々なことに挑戦する姿勢から、勢いでプログラム開発したのかと思いきや、じつは用意周到にしっかりと助走期間を設けていた。だからこそ、プログラムがリリースされた当初から人気プログラムとなったのだろう。

 

海も、化石も、虫も。当たり前がヒットコンテンツに

高橋さんの挑戦はとどまることをしらない。

「町内の椎茸農家から使い終わった菌床を譲ってもらい、山に置いてカブトムシの養殖をしてみたんです。近所の子どもたちを連れて行って案内したらとても喜んでいた」

その光景からヒントを得た、という夏場に開催する「カブトムシ採集ツアー」も人気プログラムだ。2021年夏には「世界の昆虫展」として「化石×昆虫」「南三陸杉×昆虫」の異色コラボも実現させている。

「せっかくだったら虫を見に来たついでに、町のことを知ってもらえたらいいっちゃ?」

南三陸の新たな魅力を次々と世に出していく直哉さんにこだわりを聞いてみた。

「これまで南三陸になかったものを外から持ってくるのではなく、既にあるものを、これまでになかった別な形で発信すること。お金をかけて新しいものをつくったりするのではなく、見せ方を工夫することで楽しんでもらえることができるかどうか、それがやるかやらないかの線引きの基準だね」

この町にはまだまだ明るみに出ていない隠れたヒットコンテンツが眠っているのかもしれない。

「俺らからすると、生まれたときからずっとそばにあって、当たり前だと感じていた普通のものでも、それに触れる機会がない人からしたら、驚きのコンテンツになっている」

漁師だった高橋さんが、化石体験をやって、虫取り案内をする。今まではそこに脈絡を感じることはなく、ただ興味の赴くままにやっているのかな、と思っていた。しかし、「当たり前にあるものを、見せ方を工夫して発信する」という意味では、漁業体験も、化石発掘も、虫取りも同じだった。

代を重ねられる事業のフィールド、
山は丸ごと資産

近年、着地型観光という言葉が注目されている。エコツーリズムやヘルスツーリズムなどをはじめとしたその土地ならではの文化、産業などを体験できる観光商品は、その地域の歴史や自然、文化などにおいて独自性が高く、アフターコロナの観光振興の核になるとも言われている。だからこそ、地域で独自性の高い観光商品開発を行いたい、という人も多いかもしれない。
そんなことを知る由もなく、自然と実践している高橋さんに、事業を生み出すときのポイントを聞いてみた。

「地域にもともとある自然環境を使う体験活動では、地元住民との関係性が重要なポイントになってくる。土地や資源など、町民となって深く付き合いがあるからこそ、理解をしてくれて貸してくれることが多い。その地域に根を張って暮らして関係をつくっていくことが、まず第一かな」と話す。
「この町でやりたいことがあれば、まずは飛び込んでみること。そうすると協力者があらわれるのではないかな?」
外からこの町に来た人は、もしかしたらそうしたコンテンツを見つけやすいのかもしれない。新鮮な驚きや発見に、新たなコンテンツ作りのヒントが隠されている。観光とは光を観るもの。まだ照らされていない資源に、光を灯すのはあなたかもしれない。

(2021年9月取材)

金比羅丸/「みなみさんりく発掘ミュージアム」代表

高橋 直哉さん

Naoya TAKAHASHI

1980年生まれ。歌津出身、在住。20歳で漁業を始め、牡蠣、ホタテ、ワカメ等の養殖を行う。震災により海の仕事を中断せざるを得ない状況になったが養殖場見学や釣り体験など「漁業×観光」のブルーツーリズムを展開。年間1,000人以上を受け入れる人気プログラムとなった。さらに「南三陸らしい体験」を目指して、化石発掘体験、カブトムシ採集ツアーなどの人気プログラムを考案。2018年には歌津地区の産直施設の一部を活用し「みなみさんりく発掘ミュージアム」をオープンした。

ライター

浅野拓也

埼玉県出身。学生時代はアフリカや中東、アジアを旅したバックパッカー。卒業後は、広告制作会社でエディター・ライター業を経験。2014年に取材でも縁のあった南三陸町に移住。南三陸をフィールドにした研修コーディネートを行うかたわら、食・暮・人をテーマにしたフリーランスのライターとして活動している。