農家、大沼農園 園主
Honoka ONUMA
町一番の農業の里、南三陸町の入谷地区で果樹栽培をしている大沼ほのかさん。個人農家をしているほのかさんの毎日は目まぐるしい。果物の栽培にかかわる作業に加えて、収穫した果物を加工し、クレープにして移動販売もおこなっている。ほのかさんのご家族は農家ではなく、ある出来事をきっかけに農業の道を選んだ。ほのかさんを農業の道に進ませた魅力とはなんだろう。「今までひたむきに農業を守り続けてきて、そして下の世代を育てようと考えてくれている農家さんたちをみると、ついていきたいと思うんです。」と語るほのかさんに話を伺った。
田畑を眺めながら進んでいくと、少し小高い場所にほのかさんの果樹園があった。栗の苗は今年植えられたばかりでまだ背丈は小さい。栗の木を隣に臨む景色は、収穫を間近に控えた稲たちで黄金色に染まっていた。
「今年の春に栗の木を植えたんですけど、活着がうまくいかなくて、いま知り合いの方に土壌調査をしてもらっているんですよ。どうしたらうまく育つのかずっと考えていて、もう一度卒論が書けそうなくらいです(笑)」
ほのかさんが育てているのは、栗・桃・ぶどう・ブルーベリー・いちじくと、少しの野菜。6次産業化を見越して、加工がしやすい果物を育てる農家になった。農業大学校の卒業論文でテーマにしたほど大好きな栗は、今年の春に苗木を植えたばかり。
現在日本で食べられている栗のほとんどは、昔から自生する栗の木から収穫されており、新たに栗の木を植えて収穫しようとするケースはほとんどない。そのため、特に苗木の新植と幼少期の育成方法については参考にできる事例も少なく、四苦八苦の日々がしばらくは続きそうだ。
「思い立ったらすぐに行動する性格は両親譲りで、あとから壁にぶつかることもあるんですよね。いまがまさにそれです(笑)」
栗の生育方法を研究するかたわら、桃・ぶどう・ブルーベリー・いちじくはすでに収穫できるようになっており、コンポートなどに加工して、母親が経営するクレープ店や、自身が店頭に立つ移動販売クレープ店で使用している。桃のコンポートは色が綺麗にでるよう、1度目は皮つきでまるごと、2度目は皮をむいて切ってから再び煮込む、というこだわりようだ。
ほのかさんが農業のことをはっきりと意識したのは高校3年生の冬。授業で農業が取り上げられ、人手不足など深刻な問題を抱えながらも、寡黙に、真面目に、ひたむきに農業を営み続ける農家をかっこいいと感じた。
「いままでこの町の農業を支えてきてくださった農家さんたちが望んでいる景色をつくりたいんです。」
南三陸町の農家が望む景色とは、世代や性別の垣根なく、みんなが山に入り、薪を集め、炭をつくるような、みんながワイワイと協力して自然と生きていた景色だという。現在は山に入る者はほとんどなく、耕作放棄地は草でいっぱいで寂しい姿だ。
「農大1年の時の研修で出会って、いまもお世話になっている農家さんがそう話していました。いまの人は自分のことに精一杯で、山や町全体のことを考えられないとも。たしかに、農業だけではなかなか稼げないし、それでは山や里全体を考えるような余裕は持てないと思います。けれど、私はその気持ちに応えたい、少しでもそんな景色を残すお手伝いがしたいと思ったんです。」
そこで、ほのかさんは6次産業化の道を選んだ。父親が経営する養鶏場の卵を、母親がクレープで使用している姿をみて、これなら若者も参入しやすいと思った。作物の栽培だけで稼ぐには、大規模の畑をもって休みなく作業をしなければならない。収穫した作物を加工した料理を提供する飲食店を経営することで生活に必要な収入を確保できれば、景観を守ることや人と農業との距離を縮めるような、町全体のことを考えられる心のゆとりを生み出せる。
「いずれは果樹園併設のカフェを開こうと考えています。私や町の農家さんがつくった果物や野菜使った料理や、町のおばあちゃんたち直伝レシピのメニューを提供したり、農家さんを紹介する読み物の設置、農作業体験や農家さんとの交流を企画したりして、かっこいい農家さんたちにスポットライトを当てて、たくさんの人に農家さんや農業の魅力を知ってもらいたいんです。」
「果樹って木が立ち並んだ姿がとても綺麗なんです。果樹園では収穫体験ができるだけでなく、開放してぼーっとしたり仕事をしたり歌ったり、自然に包まれながら思い思いの時間を過ごせるような場所にしたいです。」
カフェのコンセプトは、素の自分に戻れる場所。畑にいると、穏やかでゆったりとした素の自分に戻れる、というほのかさんが日々実感している感覚を共有したいという想いが込められている。
「作業中によく声をかけてくれる地域のおばあちゃんと、お菓子を一緒に食べながらゆっくり立ち話していると、時間がゆっくり流れて穏やかな気持ちになって、ストレスを全然感じていないことに気付いたんです。この気持ちをカフェを通じてみんなにも感じてほしいと思っています。」
そして、ほのかさんの目は、果樹園とカフェ経営にとどまらず、南三陸町の未来にまで向けられている。
「私の野望は、南三陸町を果樹のまちにすることです。これまでたくさんの農家さんが守ってきてくださったお米や野菜の景色は残しつつ、果樹農家を増やしていきたいと思っています。果樹栽培は草取りや農薬散布に必要な労働力が少なく、また加工がしやすいので若者の斬新なアイディアが活かされると考えています。」
先日筆者も南三陸町を訪れ、ほのかさんとともにある農家の作業を手伝わせていただいたのだが、農業に関わる話から作業場でかかっている懐メロの話まで、人懐っこい笑顔で楽しそうにお話されている様子が印象的だった。しかし、農大の研修で南三陸町の人と交流するまでは、町の人に対して心を閉ざしていたという。
「子どもの頃は他人のことに干渉する大人がすごく嫌でした。被災して2年間北海道で過ごしましたが、そっちのほうが居心地がよかったし、震災時の町の様子を思い出すと正直戻ってきたくなかったです。高校までは生まれ故郷だからと惰性で過ごしているような、そんな感じでした。南三陸町で生活することを選んだのも家庭の事情があったからで。けれどいまは、全然嫌じゃないんです。特に入谷の人柄が自分には合っていたんだなと思います。」
ほのかさんの気持ちに変化を与えたのは、農大1年生の研修でお世話になった農家さんご夫婦との出会い。彼らの自宅には毎日のように人が訪れ、1ヶ月間で100人以上の人と交流することになった。地元から心が離れていた罪悪感もあり、はじめは町の人と交流することに怖さを感じていたが、話す人話す人、誰ひとりとしてネガティブな言葉をかけてくる人はいなかった。加えて農家たちの取り組みや努力を知って、自分にも何かできるかもしれないと感じさせられた。
「回覧板を回したり、草取りに参加したり、イベント後に挨拶をしに行ったり、自分がやっていることを話したり。初歩的なことですけど、心を閉ざしているばかりじゃなくて、心を開いて言葉にしてみたら温かい反応が返ってくるんです。自分のことを心配してくれたりご飯を食べさせてくれたり、温かいなあ、いいところだなあって思います。」
ほのかさんが作業をする様子は、町の農家たち注目の的だ。作業をしていると農家さんから声をかけられることもしばしばだという。声をかけてくれる人は、事業を応援する人、冷静に助言する人など様々だ。
「持ち上げてくれるばかりじゃなくて心配されることもあるけど、冷静に考えるきっかけにもなるし、それだけ気にかけてくれているんだなと思っています。移動販売に町外から足を運んでくださったり、応援してるよと声をかけていただいたり、こうして自分の話を聞いてくれる人がいることも自分への応援だと捉えて、力に変えさせてもらっています(笑)」
ほのかさんのトレードマークは目を引く綺麗なライトブルー色の軽トラと、ぱっと周りが明るくなる笑顔だ。もともと歌津地区の出身で入谷に知り合いがいなかったため、入谷の方々に知ってもらい受け入れてもらえるよう、目立つ色の軽トラにしたり、丁寧なコミュニケーションを心がけたりと、ほのかさんは工夫を怠らない。
「特に大事にしているのは、知ったかぶりしないで農家さんの知恵を借りることです。変に知識をひけらかしたりせず、素直に頼れば皆さん惜しみなく力を貸してくれますし、それでいて自分の意見もきちんと伝えることで、1人の農家として見てもらえるよう意識しています。いま栗の土壌検査をしていますが、それも色んな農家さんに相談して、皆さん一生懸命考えてくださった末に行きついた可能性なんです。」
たくさんの農家に受け入れられ、応援されていることは、ほのかさんの努力に加え、震災をきっかけに南三陸町が変化したことも後押ししている。
「震災があって良かったことなんてほとんどないけど、この町の人の心にはいい変化があったように感じます。世界中からたくさんの人がこの町にやってきて、変化を受け入れることができる町になりました。以前の南三陸なら私がやろうとしていることなんて、ものすごく反対されていたと思います(笑)」
「Iターンでこの町に来てくれる方には、とにかく気負わずに自分がやりたいことをしてほしいです。この町は若者が少ないので、若者が来るとどうしても過度に期待をかけるところがあるんですよね。あとは、地域の人が積み重ねてきたものを大事に思う気持ちを持って、コミュニケーションしてもらえたら嬉しいです。自分の考えをズバッと言うところ、相手の考えに寄り添うところ、バランスが大事ですね。」
町内の若者世代は人口が少ないため、それに比例して交流機会もごくわずか。オンライン上のコミュニケーションが発展する昨今では、同じ町に住んでいても、あえてつながることをしなければ関係性は築かれないのかもしれない。
「南三陸町に興味を持って、外から人が来てくれることは素直に嬉しいです。私より少し上の30代の世代は、町をこうしたいという話を日常的にしていてかっこいいなと思います。私も本当はもっと熱い話がしたいです(笑)お互いに切磋琢磨し合えるような関係性を私たちの世代でもつくって、いい変化を起こしていくことで、これなら次の世代も安心だなと、上の世代の人たちに思ってもらえるよう頑張ります!」
ほのかさんの言葉からは常に、ひたむきに農業を続け、震災を乗り越え、町と農業を守ってきた農家を敬う気持ちが感じられた。一度は戻りたくないと思ったこの町を、ほのかさんがこんなにも大切に思うのは、これまで出会ってきた南三陸町の方々とこの町が、いかに魅力的かということを物語ってはいないだろうか。ほのかさんのように南三陸町の魅力に気付いた者がその魅力を守り育み、また次の世代を魅了することができれば、町の未来が巡りつくられていくだろう。
農家、大沼農園 園主
Honoka ONUMA
1998年、南三陸町歌津地区生まれ。12歳のときに東日本大震災で被災し、2年間を北海道で過ごしたのちにに南三陸町に戻る。高校の授業で農業に興味を持ち、高校卒業後は宮城県内にある農業学校に入学。果樹栽培を学び、卒業後は南三陸町にて就農。栗や桃などの果樹栽培をおこないながら、果樹園で収穫した果物を使用したクレープの移動販売など6次産業化にも挑戦している。
青森県出身。大学在学中に南三陸町の企業でインターンを経験。また、貧困家庭の子どもを対象とした学習支援やストリートチルドレンの教育支援などのボランティア活動に励む。現在は、一人ひとりの得意や好きを引き出す障害福祉のソーシャルベンチャーにて、マネジメント業務やインターン募集・社員インタビューなどの広報業務等に携わっている。