fbpx

丸平木材株式会社 代表取締役

小野寺 邦夫さん

Kunio ONODERA

「多様性」こそが次のイノベーションの鍵になる

杉の学名を和訳すると「隠された日本の財産」という意味になる。伊達政宗の時代から良質な杉産地として知られていた南三陸で、明治時代から100年以上に渡って製材業を営む丸平木材株式会社。時代の変化にしなやかに対応しイノベーションを起こしてきた同社が挑む、次なるイノベーションは「ヘルスケア」分野。木材の持つよさを最大限に生かした商品開発を目指し、副業人材の獲得などこれまでの枠にとらわれない取り組みを推進している。「森も町も多様性にあふれるのがよい」と話す、代表取締役の小野寺邦夫さんにその思いを伺った。

脈々と受け継がれるイノベーションのDNA

丸平木材の歴史はイノベーションの歴史だ。

1908年に南三陸町で創業した丸平木材株式会社は、110年以上に渡って地域の木材を挽き続けてきた。明治、大正、昭和、平成、そして令和。激動の時代のなかで、その時々で材木屋として役割を変革しながら地域と共に歩んできた。

高度経済成長期には、間伐材を使って建築作業用の丸太を組んで「足場丸太の丸平」と言われるほどに。バブル期には、軽井沢の別荘地に入れる内装材や家具を手がけ「内装材の丸平」と言われていた。時代のニーズを的確に捉え、イノベーションを繰り返し製材所としての価値を生み出してきた。

そして現代の丸平木材にとって大きな転換となったのが2008年のこと。それまで扱っていた「地域材」という大きい括りを「南三陸材」に絞って商品を生み出していくことになる。

「もともと南三陸杉が中心であることに変わりはなかったが、林業家や森林組合もいっしょになって、改めて南三陸杉をブランド化していこうという動きになった。それが今の丸平の基礎になっている」と話すのは代表取締役の小野寺邦夫さん。

伊達政宗公が愛したというほど、かつてから良質な杉の産地だった南三陸地域。南三陸の杉材は、山が岩盤質で栄養が少ない分、あまり太らず高く伸び、ゆっくり成長するために、目が詰まり強度も高くなると言われている。また薄いピンク色の色味が特徴的で、美しい風合いと強さを兼ね揃えている。

「南三陸杉らしさを輝かせる」「南三陸杉だからこそ」という言葉が、取材中に小野寺さんの口から幾度となく出た。地域の製材所だからこそ、その地で根ざしたやり方を追求できる。震災後には南三陸杉らしさを活かすべく、細胞を壊さずに生きたまま乾燥できる「低温乾燥機」を導入。「南三陸杉の丸平」としてお客様からのオーダーも増えているという。

脈々と受け継がれるイノベーションのDNA。そんな小野寺さんが20年以上かけて追い求めているテーマがあった。

「木材×健康」の可能性を追い求めて四半世紀

「“健康”のために木を通して何ができるだろう?」と小野寺さんは前を見据える。

「木だからこそのよさを考えたときに “健康”は欠かせないと思う。建築業界だけではなく、食品や医療分野など他分野とも連携して木材としての役割を探っていきたい。木の活かし方にはまだまだ可能性がある」

小野寺さんがこのように「木材×健康」を意識するようになったのには原体験があった。「人の心と体に優しい国産木材の家づくり」

今では当たり前のように感じる「国産材の家」も珍しかった1990年代前半のこと。「当時は『国産材だけで家って建つの?』と言われる時代。シックハウス症候群という言葉もまだ一般的に認知されている時代ではありませんでした」と振り返る小野寺さん。

そんななか、林業家と連携して「志津川健康住宅研究会」を立ち上げて「国産材の家づくり」に挑戦。実際に実験を兼ねて地域材だけで作った家には、小野寺さん自身が住んでいた。

「子どもが重度のアレルギーを持っていて。病院でも原因不明と言われたり、大学病院に通ったりしていたのですが、その地域材で建てられた家に住んだら、今までが嘘だったかのように治ったんです。室内空気環境って本当に大切なんだなって身をもって体感したんです。その経験が原体験となって、以来30年近く『木材×健康』というのがキーワードであり続けている」

さまざまな木の中でも、杉には調湿機能や、二酸化窒素など、人にとって有害な物質を分解し低減する空気清浄機能のほか、頭をリラックスさせたり、すっきりさせる成分を供給することが、科学的に明らかになっている。

「クリニックやマッサージなど、医療やヘルスケア分野で木材の力を生かせるのではないか」と小野寺さん。杉の学名「クリプトメリア ジャポニカ」を和訳すると「隠された日本の財産」という意味になるという。杉材は私たちにとってまだまだ隠された魅力や可能性がある。小野寺さんは「健康」分野でそれを追い求めている。

外部人材も組み入れ
イノベーションを起こす!

「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」

2020年10月、菅総理は所信表明演説でこのように宣言した。

「これからの社会にとって、炭素固定化の意味合いで木材が持つ役割は、非常に大きくなる」と小野寺さんは話す。

「都市は第二の森林」と言われる。他の工業製品と異なり、山で育つ天然資源である木材。そのなかには成長過程で長年吸収した炭素がたっぷりと固定化されていることから、建築材などに木材をたくさん使うことによって、都市のなかでも炭素を吸収している状態を表したのが「都市は第二の森林」という言葉だ。

「炭素固定という環境的側面から、木の価値が今後どんどん見直されていくであろう。それをチャンスと捉えて、木ならではのよさを追求していきたい。それを一番感じられるものとして、やっぱり内装材で勝負していきたい」

 

丸平木材では、より気軽に「本物の木材」に触れられる機会を作ろうと、商品開発にも力を入れている。置いて、並べて、簡単に、南三陸杉無垢材のフローリングを堪能することができる「ひだまりタイル」や、リモートワークや、オンライン商談、書斎として、南三陸杉に囲まれ癒されながら集中できる個室空間「ネスト」などを開発してきた。

「いろんな製品が出回っている中で、“本物”を追求したものがどれだけ求められているのか?裾野を広げていくことに難しさは感じている。しかし同時にこの分野に可能性も大きく感じている」

丸平木材では副業による人材登用も始めた。天然木材が持つ効能を最大限に引き出す商品企画が狙いだ。

「南三陸杉という“素材”はある。それを活かす加工方法も確立してきた。ただイノベーションを起こすにはデザインとアイディア。そこが自分にとっては難しいところ。新しい技術とノウハウと知見を持った方々が入ってくることによって、次のステージに挑戦していけるのではないか。それが次の時代のうちの主軸となっていくのだと思う」

多様性あふれる「ターミナル」のような町が理想

東日本大震災の大津波によって、沿岸部にあった丸平木材も高台にあった資材置き場以外は自宅も含めて流出した。「すべてを失って、震災後再開するかどうか正直悩んだ」と話す小野寺さん。小野寺さんのもとには各地の仲間から「東京に来てやらないか?」「場所は提供するからこっちでどうだ?」との声がかかったという。しかし、小野寺さんが南三陸に残ったのは「人とのつながり」があったからだ。

「丸平が100年以上かけて築いてきた山主さんや工務店とのつながり。それは何事にも替えがたいものだった。ここでやるから意味がある。地域のみなさんからの『山は残って元気なんだから、丸平さんが戻ってくれれば』という声に後押ししてもらったんです」

小野寺さんにとって「南三陸」とはどんな地域なのだろう?

「ちょうどよい結びつき。執着しすぎず、さっぱりとした、さらっとした温かさがこの町にはある。地域でありながら、“ターミナル”みたいな。いろんな人が来てはまた立ち去っていく場所。南三陸もいろんな人が来て、ここで関わり合いを持って行って、何かのエッセンスをこの町で感じ取って、吸収してもらって、この町でも他の地域でもイノベーションを起こしてもらえるような。そんな地域になれたらいいな」と小野寺さんは話す。

数々のイノベーションを起こしてきた丸平木材。もしかすると次のイノベーションは「多様性」の中から産み出されるのかもしれない。この地でチャレンジするにあたっても、小野寺さんは多様な関わり方があってもよいのではないかと考えている。

「距離とか関係なく、町の強みとその人自身が持つ強みがうまく連携できれば良いと思う。必ずしもこの町にいてやる必要はない。離れているからこそできる関わり方もあると思う」

FSC®︎森林認証においても「多様性」が欠かせない。適切に管理された山にあっては、さまざまな植物が混在し、共存している。そこには虫がいて、動物がやってくる。そこは、自然界にとっての「ターミナル」のような場所なのかもしれない。

南三陸が多様性あふれるターミナルのような場所へ。「隠された財産」である「杉」を核にしたイノベーションに挑戦し続ける小野寺さんのような存在がいるからこそ、それが可能になってくるのであろう。

(2021年9月取材)

丸平木材株式会社 代表取締役

小野寺 邦夫さん

Kunio ONODERA

1908年(明治41年)に南三陸町で創業した丸平木材株式会社の5代目。家づくりに関わるあらゆる材を「南三陸杉」を主にして製材加工している。東日本大震災で本社・工場が流出したが、震災から1年1ヶ月後に高台に工場を再建し、事業を再開。町が取り組む持続可能なまちづくりにも賛同し、2015年10月にはFSC®︎・COC認証を取得。「南三陸杉」のよさを最大限に活かす製材方法を確立し、地域の林業家と共に地域ブランドとして育んでいる。

ライター

浅野拓也

埼玉県出身。学生時代はアフリカや中東、アジアを旅したバックパッカー。卒業後は、広告制作会社でエディター・ライター業を経験。2014年に取材でも縁のあった南三陸町に移住。南三陸をフィールドにした研修コーディネートを行うかたわら、食・暮・人をテーマにしたフリーランスのライターとして活動している。